purpledの日記

自由に生きればこの世の楽園

僕は京都大学の学生だった。それが人生で最も楽しい時間だったとは、誰にも言わせない。

京都を出てから3ヶ月が経った。僕は社会人として東京で働いている。会社では最初の方こそ茶番のしゃらくさいマナー講座などの研修に絶望したが、配属が決まるとコードやドキュメントの読み書きをする毎日が始まり、ある程度のやりがいや楽しさを感じながら働くことができるようになった。またプライベートでも素敵な出会いがあり学生時代、長いこと憂鬱でいたのが嘘のように毎日楽しいと感じている。

 

先週東京の友人から車を出すから一緒に吉田寮祭にいかないかと誘われた。元々行こうかと思っていたので渡りに船だと思いせっかくの好意に甘えることにした。

当日は6:30くらいに最寄り駅まで向かえに来てくれた。乗せてくれるだけでありがたいのにわざわざ拾いに来てくれるのは本当にありがたい。ドライバーの他に僕のひとつ上の元寮生と15個くらい上の元寮生が乗っていた。吉田寮では大抵の人が留年、休学、進学などで6~1x年は平気でいるので知り合いなのにかなりの年齢差があるのは珍しくない。また基本的に敬語を使わないので年齢や年次に大きな差があっても他のコミュニティほど先輩感がなく気楽だ。

車内では近い参院選のことが話題になり、元政治秘書だった寮生がいろいろ教えてくれて面白かった。今回の選挙に実は元寮生の人が出馬していることを知ってびっくりした。学生のときは寮にいる寮生たちくらいしか知らなかったけど最近元吉田寮生たちの活躍を知ることが多くてすごいなーと思う。

そうこうしているうちに吉田寮に着いて興奮気味にゲーム部屋を訪れたらいつもの変わらない寮生たちがいてまるで昨日会ったかのように「おう、450じゃん」と言った。麻雀を打ったり寮祭ライブを聞いたり寮生がエルデンリングをやってるのを隣で見たりして、東京では感じることのできない埃っぽい安らぎの時間を過ごした。

 

 

いつも長い髪だった友人がばっさり短く切っているのに気づいて「髪切ったんだ」と聞いたら、「4年付き合ってた彼女と別れて切った。それからずっと憂鬱だ」と返された。この友人は人間関係にタンパクで、メンタルも相当強いと思っていたので驚いた。状態を聞くとかなり無気力で食事も睡眠も必要を感じないので取っていないらしい。自分も似たような状態が続いていた頃があったのでその頃やっていたことや思いつく限りのアドバイスをしたが、あまり響かなかったようだ。

今になって振り返るとああいう状態のときに自分もそういうアドバイスを聞いてもなかなか実行に移すことはできず焦るばかりなので逆効果だったかもしれない(何度朝日を浴びようとして失敗したことか)

問題を定義してその解決法を考えて効果があるまで試すみたいな方法は元気があるときにやることで元気が無いときはただ時間が流れるのを眺めている方が役に立つこともある。

思えば自分は学生時代ずっとこんな感じで憂鬱を解決しようとして苦しんでいた。憂鬱を取り除こうとするひたむきな努力はむしろ憂鬱をさらに深いものにしてとうとう僕から全ての気力を奪い去った。

あの時は今よりずっと自分の人生はこうでなくてはいけないと思っていた。

僕はずっと自分の人生が存在してもいい最低の条件は京大で修士を取って研究職に就くことだと思っていた。それができなくなりそうになると文字通り人生が終わった、終わりつつあると感じた。そのことに大学生の割と最初の方に気づき、それから大学生活は終わりつつある人生をどのように苦痛なく終わせられるかということを考えるための時間になった。そのため何かをする基準は「今感じている苦痛を和らげることができるかどうか」だったので後ろ向きな逃避的行動ばかりするようになっていた。

そのままの状態が続けば最終的に自殺も当然あり得たと思うけど、そうはならなかったのは圧倒的に自由に生きる吉田寮生を目の当たりにしていたからだったと思う。

人生がこうでなくてはいけないということは何もない。政治家になってもいいし、マタギになってもいい。アラフォーで医学部再受験してもいいし、高い専門性を捨てて全く別業種の仕事に転職してもいい。給料の全てを種銭に毎日数100万のギャンブルをしてもいいし、大学生活の8年間をソシャゲに費やしてもいい。

こういう人たちを見てると修士に行けなくて人生が終わってると思ってる自分は大きな勘違いをしているように思えた。

これからの自分の人生は何をしてもいいし、何をしなくてもいい。親の期待に応えてもいいし応えなくても良い。だるかったら別に働かなくてもいい。

とにかく自分の好きなようにしていいんだということに気づいた時、自分の楽しみのために面白いものを探しに行こうと思えた。

あの暗くて惨めな6年間が思い出せなくなるような楽しいことがこの先にきっと待っている気がする。