登録者77万人のApexストリーマーが本を出していたので読んでみた 「僕らはまだ旅の途中」 NIRU著 感想

私はここ2年近く、Apex Legendsという3人1組で20チームの中から生き残りをかけて銃で撃ち合うゲームで遊んでいる。このゲームのプレイ動画や配信はyoutubeを中心に高い人気があり、Apex専業で配信と動画制作を行う人もいるほどだ。

今回読んだ「僕らはまだ旅の途中」(NIRU著)は専業でApexのキルクリップ制作と配信をしているNIRUさんが出した本である。

NIRUさんについて少し解説しておくと登録者77万人のyoutuberで、動画の内容は基本的に大量にキルやダメージを出したかっこいいプレイのクリップが中心である。時には高ランク帯やソロカジュアル、弱武器を使った縛りプレイでも高いパフォーマンスを出し、プレイスキルのうまさで人を魅了している。

(ここでapexをやってる人以外はどうでもいい話だが、apexには操作方法に関してキーボード&マウスで操作するキーマウ派とps4などのコントローラで操作するpad派がいる。NIRUさんはpad派である。padにはエイムアシストという相手に銃口を向けると相手の動きに応じて少しだけ後を追うエイムアシストという機能があり、キーマウにはない。このせいpadプレイヤーの実力は見くびられる傾向にある。padプレイヤーはFPSの重要な要素である敵を正確に狙う能力をゲームのシステムに頼っており、たとえ上手であろうとpadを使っている場合はその実力の一部を認められないと考えられがちだが、ことNIRUさんに関してはエイムアシストオフで活躍する動画も上げていたのでpadを使っていることでNIRUさんの実力にケチつけることはできないと思う。)

余談が長くなってしまったが、肝心の本の感想をいうと......正直にいうとあんまり面白くなかった。いや、結構褒めといて面白くないんかい!っと突っ込みたくなるかもしれないけど、自分はゲームに関する話を期待していたのでどちらかというと等身大のNIRUさんの話が多くてそう感じちゃいました。でも、これは私が求めていた内容と違ったというだけであってストリーマNIRUの等身大を読みたいというファンには刺さる内容かもしれないし、NIRUさんってどんな人なのかな?という好奇心は少なからずあったので、その部分に関しては満たされたと思う。

ざっくりとした内容を解説すると、動画制作を兼業しながらの高校/専門/社会人時代、そして専業ストリーマーになるまでの経緯、ストリーマーになってからの生活とこれからの展望に対する考え、家族との関係や旅行を通じての考えたことなどなどNIRUさんの目線から書かれた等身大の内容が描かれている。普段動画の中ではたんたんと上手なプレイをこなしていくスタイルなので動画を見る限りではあまりパーソナリティについては詳らかではないがこの本を通じてその一部が知れることはファンにとっては嬉しいかもしれない。

自分はゲームが上手な人はみんな尊敬していて彼らのゲームに対する戦術や俯瞰的な考えを聞くのは好きだし、彼らがもつ圧倒的な熱量に感化されることもある。今回の本はそういった部分がなかった訳では無いが、結構あっさりしててもう少し深く話してほしかったなと思った。

ただ、等身大のNIRUさんの話の中にはまだ本当にやりたいことを見つけられない不安だったり同年代の自分にとって親しみを感じさせるエピソードも多かったので読む以前よりも身近に感じられた。

 

 

9/22日記

ちょっと遅めに起きて仕事のチャットを返す。

チャットがあると起きた瞬間から仕事モード前駆体になれるからどちらかというとあったほうがいい。

 

試しに使っていた無料枠herokuに上げたflask製のwebappを見てみる。

アップロードしたはずのdbが消えている。

後で知ったがherokuは最後のコミットに定期的にリフレッシュするので残したいdbは他のとこで保存するか有料にするしかない。

うわーめんど。

 

とりあえず置いといて仕事をする。

思ったより手こずって進捗が生まれないまま夕方になる。

進捗はそんなにないが、とりあえず報告を書く。

 

スーパーでニンニクとオリーブオイルとパスタの材料を買う。

最近youtubeでパスタに限らず麺類の料理動画にハマっている。

 

家についたらビールを飲みながらdiscordを開く。

apexの鯖で新しいGPUの話をする。俺が学生の頃買ったGPUは1060、今日発表されたのが4090とはだいぶ時間がたったな。

 

今のモニターが144Hzで今のGPUでだいたい100fpsしか出ないという話をしたら買い替えたほうがいいと言われた。

今は最新のGPUでなくても3万くらいで1660superかtiが変えるらしい。でも100fpsを144fpsにするのに3万か......。

今はそんなにapexのモチベーションもないのでやめよう。

 

少しスプラでナワバリをやる。

酔ってるせいか疲れているせいか。キルレがでないし、試合も勝てない。全体的にプレイが雑な感じになっていた。

今ランクやっても溶かすだけなのでバンカラはやめておこう。

 

可もなく不可もない一日が終わろうとしている。
寝る前にインターネットを眺める。

 

ん、この記事の中の最優秀賞の人、この間俺の記事を引用した人だ。この人のブログ面白いな。奥さんにDVされててちょっとかわいそうだけど。

blog.hatenablog.com

どの記事も面白くて最高だな。

ykic.hateblo.jp

特にこれ最高だ。

 

俺もなにかを書きたい。

とにかく書きたくなったので、今日の日記を書いた。

 

 

 

 

 

新卒でウズベキスタンに行く度胸のある男はどうしてそんな決断ができるのか

450hosigata.hatenablog.com

 100半荘のとき一緒に麻雀を打ったsくんの話をします。sくんはスポーツができて戦略系のゲームが本当にうまい(誰もが知るメジャーなジャンルですごい成績を残したこともある)ナイス・ガイだ。彼は今年の4月に大学を出た後いきなりウズベキスタンで就職するというかなり度胸のある選択をして周囲を驚かせたが、そんな彼が先週日本に帰国した。

 仕事が終わってから飲みに行き、ウズベキスタンの話や近況などを話した。

ざっくり聞いたウズベキスタンの話をまとめると

 

ウズベキスタン中央アジアの国で言葉はウズベク語とロシア語、宗教は主にイスラム

中央アジアの中では砂漠以外の部分が多くて暮らしぶりも結構良い方らしい

・気候は基本的に乾燥してる。4月が一番熱くて40度以上になるけど湿気がないから日陰なら平気

・物価は安い。一食300円くらい家賃は1万くらい

・インターネットはあるけど停電が起きると使えない

・水道も時々とまる

・ご飯は基本的においしいけど、油が結構はいってる

ウズベキスタンではすべての車が潜在的にタクシーで知らない車がいきなり止まって運賃交渉してくる

スマホは金持ち以外androidを使っていてSNSはinstaかtelegramを使っている

・歴史的経緯により韓国人が結構多くて韓国人とよく間違われる

・サソリが家にでる。意外と足が速い。

・国民性は割りと陽気(いきなり知らないおじさんに「お前日本人?一緒に写真取ろう」と言われスマホを取り上げられインカメで自撮りされた)

・自動車のスピードが早くうっかり轢かれそうになってしまう

・外国人が怪しいところに行っていると通報される

・老人が少なくて若い人が多い

 

ここには書ききれないほどいろんなエピソードを話してくれた。毎日家でプログラム書いている身にとってはとても新鮮で面白かった。また、異国の地で外国語を使ってコミュニケーションを取る難しさや日本の常識が全く通用しない(嘘をつかれる)中での仕事の大変さを聞くと苦労しているんだなと思った。

 

sくんはこれからウズベキスタンで新しいビジネスを始めるらしい。しかも首都のタシュケントではなく日本人がいままで誰も起業したことがない街でだ。もともとすごい人だと思ってたけど僕が思ってたよりももっとすごい人なのかもしれない。

 

こういう思い切ったチャレンジができる人を見るとどうしてそんなに度胸があるのかと思う。彼に聞いてみると「kさん(共通の知り合い)がラスベガスでプロポーカープレイヤーになろうとしているのをみて、そんなことしていいんだ、と思ったから」と言っていた。

 

聞いてたときはあんまり腑に落ちなかったけど、今この文章を書いているとだんだんわかってきた。自分とできることが似ている人ができることは自分でもできそうと思えるから、ウズベキスタンに行くことも恐ろしいことではなくなったのだろう。ビジネスを自分で始める選択をしたのもサラリーマンが少なくてだいたい自分で商売をやっているウズベキスタン人たちの影響もあったのかもしれない。

よく言う環境がその人を変えるってまさにこういうことなんだろうな。

 

sくん、応援しています。

 

九州旅行

九州を旅行した

旅行の写真とともに振り返るだけの日記です

 

盆休みの始まりに福岡行きの飛行機に乗った。

福岡で一泊した後長崎県佐世保市佐世保バーガーを食べた。

ハンバーガーはいつもおいしい。

同じ日に佐賀県嬉野市で温泉に入った。

ゾンビランドサガというアニメに出てたらしい。

宿でちょっと見た。

宿のご飯。お肉が美味しい。

次の日阿蘇山に行った。

風が気持ち良い。

コテージでなにかのカツを食べた。

なんのカツだったっけ。美味しかった。

一泊して宮崎県高千穂に

↓の写真はいつ撮ったかわからないコーヒー

高千穂、どうやったらこんな地形ができるのだろう。

この日はとにかく暑かった。

ホテルに泊まって次の日大分県別府市

大分は関あじ・関サバと鶏天が有名らしい。確かに美味しかった。

大分アフリカンサファリへ

ついでに地獄めぐりもやった

このワニずっと口を開けていた


楽しかった。阿蘇はほんとにいいとこだった。

おしまい。

 

僕は京都大学の学生だった。それが人生で最も楽しい時間だったとは、誰にも言わせない。

京都を出てから3ヶ月が経った。僕は社会人として東京で働いている。会社では最初の方こそ茶番のしゃらくさいマナー講座などの研修に絶望したが、配属が決まるとコードやドキュメントの読み書きをする毎日が始まり、ある程度のやりがいや楽しさを感じながら働くことができるようになった。またプライベートでも素敵な出会いがあり学生時代、長いこと憂鬱でいたのが嘘のように毎日楽しいと感じている。

 

先週東京の友人から車を出すから一緒に吉田寮祭にいかないかと誘われた。元々行こうかと思っていたので渡りに船だと思いせっかくの好意に甘えることにした。

当日は6:30くらいに最寄り駅まで向かえに来てくれた。乗せてくれるだけでありがたいのにわざわざ拾いに来てくれるのは本当にありがたい。ドライバーの他に僕のひとつ上の元寮生と15個くらい上の元寮生が乗っていた。吉田寮では大抵の人が留年、休学、進学などで6~1x年は平気でいるので知り合いなのにかなりの年齢差があるのは珍しくない。また基本的に敬語を使わないので年齢や年次に大きな差があっても他のコミュニティほど先輩感がなく気楽だ。

車内では近い参院選のことが話題になり、元政治秘書だった寮生がいろいろ教えてくれて面白かった。今回の選挙に実は元寮生の人が出馬していることを知ってびっくりした。学生のときは寮にいる寮生たちくらいしか知らなかったけど最近元吉田寮生たちの活躍を知ることが多くてすごいなーと思う。

そうこうしているうちに吉田寮に着いて興奮気味にゲーム部屋を訪れたらいつもの変わらない寮生たちがいてまるで昨日会ったかのように「おう、450じゃん」と言った。麻雀を打ったり寮祭ライブを聞いたり寮生がエルデンリングをやってるのを隣で見たりして、東京では感じることのできない埃っぽい安らぎの時間を過ごした。

 

 

いつも長い髪だった友人がばっさり短く切っているのに気づいて「髪切ったんだ」と聞いたら、「4年付き合ってた彼女と別れて切った。それからずっと憂鬱だ」と返された。この友人は人間関係にタンパクで、メンタルも相当強いと思っていたので驚いた。状態を聞くとかなり無気力で食事も睡眠も必要を感じないので取っていないらしい。自分も似たような状態が続いていた頃があったのでその頃やっていたことや思いつく限りのアドバイスをしたが、あまり響かなかったようだ。

今になって振り返るとああいう状態のときに自分もそういうアドバイスを聞いてもなかなか実行に移すことはできず焦るばかりなので逆効果だったかもしれない(何度朝日を浴びようとして失敗したことか)

問題を定義してその解決法を考えて効果があるまで試すみたいな方法は元気があるときにやることで元気が無いときはただ時間が流れるのを眺めている方が役に立つこともある。

思えば自分は学生時代ずっとこんな感じで憂鬱を解決しようとして苦しんでいた。憂鬱を取り除こうとするひたむきな努力はむしろ憂鬱をさらに深いものにしてとうとう僕から全ての気力を奪い去った。

あの時は今よりずっと自分の人生はこうでなくてはいけないと思っていた。

僕はずっと自分の人生が存在してもいい最低の条件は京大で修士を取って研究職に就くことだと思っていた。それができなくなりそうになると文字通り人生が終わった、終わりつつあると感じた。そのことに大学生の割と最初の方に気づき、それから大学生活は終わりつつある人生をどのように苦痛なく終わせられるかということを考えるための時間になった。そのため何かをする基準は「今感じている苦痛を和らげることができるかどうか」だったので後ろ向きな逃避的行動ばかりするようになっていた。

そのままの状態が続けば最終的に自殺も当然あり得たと思うけど、そうはならなかったのは圧倒的に自由に生きる吉田寮生を目の当たりにしていたからだったと思う。

人生がこうでなくてはいけないということは何もない。政治家になってもいいし、マタギになってもいい。アラフォーで医学部再受験してもいいし、高い専門性を捨てて全く別業種の仕事に転職してもいい。給料の全てを種銭に毎日数100万のギャンブルをしてもいいし、大学生活の8年間をソシャゲに費やしてもいい。

こういう人たちを見てると修士に行けなくて人生が終わってると思ってる自分は大きな勘違いをしているように思えた。

これからの自分の人生は何をしてもいいし、何をしなくてもいい。親の期待に応えてもいいし応えなくても良い。だるかったら別に働かなくてもいい。

とにかく自分の好きなようにしていいんだということに気づいた時、自分の楽しみのために面白いものを探しに行こうと思えた。

あの暗くて惨めな6年間が思い出せなくなるような楽しいことがこの先にきっと待っている気がする。

 

 

 

 

僕はこうやって留年を抜け出しました

今日はいつものブログと違って今留年している人やこれから留年する人に向けて自分が留年から抜け出したときの話を書こうと思います。僕自身が留年中に「京大 留年」とかで検索して同じような感じの人が何していたのかを知って安心を得たり、参考にしようとしていたので当時の僕のような人がもしいたら、役に立てると嬉しいです。 

 

自己紹介すると僕は2016年に京都大学工学部に入学し2回留年して2022年に学部をなんとか卒業し現在エンジニアとして働いています。留年は実際結構ツラカッタ......けどその経験をバネにこれから頑張って行くつもりです。留年した/する後輩(?)のみなさんも一緒に頑張りましょう。

 

留年するまで

1回生~2回生くらいまでは、少し単位を落としながらも人並みに勉強、サークルやバイトなど頑張っていました。日中は講義を受けたり実験をして終わったら週2回位ダンスサークルの例会にでたり、空いた時間は塾講師やプログラミングのアルバイトをするなど、今振り返ると結構充実した生活をしてたかもしれません。

 

ひきこもり期

2回生の終わりごろから自分の専門にあまり興味が持てなくなり、3回生になると講義室に行くと吐き気がする、実験室から逃げ出したくてたまらない、など学業に支障が出るほど勉強に苦痛を感じるようになっていました。また、人間関係の失敗からサークルを辞めプログラミングのアルバイトに専念しましたが、そこでも役に立たないどころか迷惑をかけるばかりで申し訳なくなりとうとうやめてしまいました。

何もかもうまくいかない上、人との交流も少なくなってくると、だんだん精神も病んできてほとんど部屋から出なくなってしまいました。このころ辛かったのは空腹に耐えかねてコンビニに行っても何を買うか決められなくてただ商品を眺めて帰る、という謎の行動を繰り返していたことです。

さらに、たまに会ってくれる友人との関係にも僕のせいで大きな亀裂が入り、この頃は「もう人生終わりだ.......終わりにしたい......」などとばかり考えてばかりいました。

 

実家ニート

京都にいても何もできないので、秋頃まで実家に帰り療養していました。
この時期は毎日散歩して用水路の魚を眺めたり、おつかいに行ったりして生活リズムを戻していました。精神科にもつながり適切な投薬治療なども受けだいぶ気持ちも落ち着いたので暇だしそろそろ学校に戻ろうかなという気持ちになっていました。

 

復帰期

しばらく母が生活の面倒を見てくれることになり京都で母と暮らし始めました。一人暮らしのときはカーテンすら用意してなかったのですが(すだれをカーテン代わりにしていた)母がまともな環境を作ったお陰でまともな生活が送れるようになりました。生活環境がぐっと良くなったので遅れた分を取り戻そうと40単位くらい詰め込んだ時間割を作り一応全部の科目を取るつもりで頑張っていたのですが、途中でしんどくなって「やっぱりだめなのかも......」と年の終わりごろには諦め始めていました。

京都に戻ってからも精神科や京大のカウンセラーに通っていたのですが、カウンセラーがとりあえず単位を取れなくても講義には出てみたら?来年にはとれるかもしれない。とアドバイスをくれたので、まあ、今年はだめでも来年とれたらいいかと思いながら講義に出ていました。

今年は単位が取れなくてもいいと思うとそんなに辛くもなくなり、毎日講義に出て教授の話を半分聞きながらぼーっとしたりスケッチをしたり短歌を作ってやり過ごしていました。

結局10単位くらいとって3回生は終わりました。

 

初めての留年

2度目の3回生が始まりました。実験も講義も退屈でしたが、同じく1留中の人や優秀な留学生と仲良くなり、サボらず大学に行けるようになりました。今回は単位数を絞って時間割を作ることで無理なく25単位ほど取れました。気持ちの方も去年に比べて安定していたのでアルバイトも少しずつやったりして社会に復帰していきました。

後期も同様に単位を取得し友人の紹介で長期インターンにも参加できました。

 

研究室生活がうまくいかず就職留年

単位も順調に取れてるしなんだかやっていけそうだな~と思っていたら研究で挫折しました。あんまり興味のない分野(最初は興味があった)で大学院に行こうとしたのですが、研究についていけずやっぱり無理だなと分かり途中で辞めました。就職活動するにも当時はコロナ1年目で採用が結構絞られていた上、就活を初めた時期も8月と遅かったためなかなかいいところが見つからず就職留年することにしました。

 

内定、卒業へ

卒論を保留してもらい2月から就職活動を始めました。割りと早い段階でSESのベンチャー企業に内定をもらったので一応行くところはあるぞ!と安心して就活を進められました。その後、志望度の高い企業から内定を頂いたのでそちらに行くことにしました。

 

留年から抜け出すのに役に立ったこと

  • 精神科
    特に睡眠薬は本当に役に立ちました。眠れるようになると大学にも行けるしメンタルも安定し始めました。
  • 友人
    留年するまでは学科に友人がほとんどいなかったのですが、1留目のときに仲良くしてくれた友人は(勉強面・メンタル面で)本当に頼りになりました。
  • 生活環境
    まともな生活環境(冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど)を揃えないとまともな生活が送れないので本当に大事だと思います。
  • 家族の支え
    人よりけりなので難しいところもありますが、頼れるなら頼ったほうがいいと思います。自分にとっては最も大きな支えでした。

その他

長期インターンは就職の時に結構アピールになったのでおすすめです。自分は決して有能ではなかったしインターン先でも大したことはしてなかったのですが、就職活動のときの反応は悪くなかったです。また、留年した本当の理由を隠すのにも使えます。(就職活動の時メンタルやられて留年しましたでは通らないので多少の嘘を使うのも致し方ないと思います。)

これから人前ではあまり自分が辛いという話をしないようにしよう I am made of Love

俺は些細なことで辛い気持ちでいっぱいになりやすいという弱点があり、そういうときは人にそのことを話したりするんだが、そのことで人を傷つけたりすることに気がついてもうそういうことは一切話さないようにしたいと思う。

留年しまくって放学一歩手前みたいな友人とかに、将来が不安だとかいう話をしても、そいつからしたら、「いや、お前2留したとはいえ大企業に一応就職しとるやん!」と突っ込みたくなるだろう。一応この友人は世間の常識などどうでもいいと心のそこから思ってそうな節があり、世俗の欲にまみれた俺の小さな悩みなど本当にどうでもいいことだと感じるだろうと予想して話している。しかし、位の高いお坊さんですら、修行中は世俗的なことを考えたりするわけで、いわんやこの世間に背を向けたアラサーの風来坊もなんやかんや言って将来の不安はあるに違いない。そんな中で(一応)レールにギリギリ乗って安定してそうな人間の安全圏から浅そうな「つらいわ~」を聞いたらウザく感じずにはいられないだろう。

俺は周りの人を苛つかせたり、傷つけたりしたくない。なんやかんや言って俺の周りにいてくれる人は俺のことが割と好きだと思う。そういう人たちを楽しませたり、そういう人たちの憩いになりたい。俺がずっとそうしてもらったみたいに。

最近は毎日この曲(Stronger than you)を聞いてる。これはSteven Universeというカートゥーン ネットワークのアニメのラスボス戦のときの音楽。また、under taleというゲームの有名な二次創作で替え歌が使われており、非常に有名(主観)である。

主人公ガーネットの強い自信が歌詞に現れている。自分は愛でできている。一人で戦う敵よりも自分たちはずっと強い。その強い確信が好きで何度も聞いている。

そうだ。俺も愛でできているんだ。I am made of Love and Stronger than you.

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