最近友人に日記が暗すぎると言われたのでたまには楽しい話を書く。下書きで保存されていたものを書き直したものだ。思い出しながら書いているので実際とは少し違うところもあるかもしれない。
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プロローグ
人間は変わろうと思ってもなかなか変わることができない。しかし、本当に必要な状況に陥ると、否応なし変わらざるを得ない。今日は内向的で自己愛が強く恥をかくことを恐れていた自分が、強制的に変わらせられた経験を書こうと思う。
ヒッチレースというのは、吉田寮祭のイベントの一つで参加者が(主に新入生)スマホとペンとサインボード以外は何も持たずに車に乗せられ日本のどこかに下ろされて、ヒッチハイクで京都に帰ってくるというイベントだ。”レース”と名前がついているので、一番面白かったやつが優勝だよねというざっくりした共通認識はあるが、誰が一番とわざわざ決めたりするような感じではなく、参加者たちの話を聞いてみんなで楽しむイベントである。
多くの寮生たちが新入生の時に参加したように、当時の僕も参加した。ヒッチレースは寮祭開始の直後に始まる。参加者とドライバーたちは説明を受けた後、受付に集まり寮祭開始の合図を静かに待った。深夜12時、受付で寮祭実行委員長が拡声器をもって寮祭貫徹のシュプレヒコールを呼びかける。僕らもそれらに共鳴して受付のボルテージが上がっていく。
吉田寮祭が始まった。
落ち着く暇もなくドライバーが車を出してきて、僕らはそれに乗った。出発するとき、450は一番遠くにいってこいよと言われ、少し認められている感じがして嬉しかった記憶がある。ドライバーにはあまり窓の外を見ないように言われた。ヒッチハイクに備えて軽く眠るようにアドバイスされたが、不安と興奮で眠れはせず、ドライバーや同じ車の新入生たちと話した。
夜通し山の中の道を通り早朝空が明るくなり始めたころ、海辺の村で一人下ろされた。それまで自分が特別な冒険をしている気分だったが目の前で同期がスマホ一つでどこかも分からないところに置いて行かれるのを見ると急に心細くなった。次に降ろされるときはどちらが下りるか聞かれたが勇気が出ずもう一人の方が先に降りた。結局最後、海辺の町のフェリー出発場に下ろされた。ドライバーにフェリーに乗るつもりがあるなら1000円やると言われたので乗ると答えた。1000円を受け取るとドライバーはさっさと車に乗って帰ってしまった。本当にこれから一人で名前も知らない土地から京都まで帰らなくてはならない。
ヒッチレース開始
僕が下ろされた場所は三重県鳥羽市の海沿いの町だった。フェリーの出発時刻まで暇なので周辺をうろついていたら警察の集団4,5人に職務質問をされた。当時伊勢サミットなる国際会議が予定されていて警察が全国から応援で駆り出されており、質問をした警察は鳥取から来たという話だった。ヒッチハイクの事情を話すと缶コーヒーと少しのお金をくれた。お金をもらえるとは思っていなかったので驚いてとても感謝した。フェリーの始発時間まで警察のみなさんと談笑した。去り際その中で一番偉そうな人が「警察にだけはなるなよ」と言ったので、なんと反応していいかわからなかった。フェリー乗り場に着いて料金を見るとちょうど50円足りない。見ず知らずの人に自分から声をかけなければならないときがやってきた。意を決して恰幅のいい眼鏡をかけた男性に話しかけると快く50円をくれた。これでフェリーに乗ることができる。
船旅
この船はどうやら愛知県の伊良湖という場所に向かうらしい。京都に向かうヒッチレースなのに初っ端から遠回りをしてしまった。僕に50円をくれた恰幅のいい男性は東京理科大かどこかの先生をしているらしく学会に出た帰りらしい。大学のヒッチレースのことを話すと兄が京大卒で変人だったという話をしてくれた。彼いわく伊良湖では交通があまりないので、ヒッチハイクできそうなインターチェンジの近くまで来るまで送って行ってくれるそうだ。思いがけず最初のヒッチハイクが成功してしまい案外親切にしてくれる人はいるんだなと思った。
ヒッチハイクスタート
伊良湖近くのインターチェンジでフェリーのおじさんと別れとうとう本格的なヒッチハイクの旅が始まった。べたにサインボードに京都方面と書いて道路沿いに突っ立ってみるが、ほとんど無視される。近くのファミレスから出てきた親子が声をかけてきた。事情を話すと「駐車場で待ち構えて車に戻ってきたドライバーに話しかけたら?」と言われた。確かにそっちの方がうまくいくかもしれないと思ったがもう少しだけと思ってべたなやり方を続けていたら、一台の車が止まった。ドライバーはやんちゃそうなおじさん二人だった。乗るなり「俺たちはヒッチハイカーを食べるのが趣味なんだ」とジョークを飛ばしてきた。乗せてくれることに感謝して自分ができる上限の愛想笑いをした。
今回が本当に初めての完全なヒッチハイクだった。それまで自分はヒッチハイクが成功したらドライバーを楽しませるためにあれこれエピソードトークをしなければならないと思っていた。しかし、初対面でそんなに話をされても困らせるだけなので軽く話をしたら相手から質問されない限りは静かにした方がよいことを知った。
2つ目のヒッチハイク
オジサンたちに程よいサービスエリアに下ろしてもらい別れた。サービスエリアでは駐車場待ち構え作戦に変えて直接ドライバーに話しかけることにした。西の方のナンバープレートを中心に数十人に声をかけて断れ心が折れそうになった。なんとか人の好さそうな老夫婦が近くまで乗せてくれることになった。しかもおにぎりもおごってくれた。
3つ目のヒッチハイク
老夫婦と高速を降りたすぐそばのコンビニで別れた。もう一つ先のサービスエリアまで送って行ってほしかったが言い出せなかった。仕方ないので、コンビニの喫煙所にいた人たちにお願いしたら若いイケイケ風のお兄さんが近くまでなら送って行ってあげるよと申し出てくれた。車も高級そうでいったい何の仕事をしているんだろうと聞いたらバイナリーオプションの予想を売っている教えてくれた。あまり深くは聞かないでおこうと思っているうちに次のサービスエリアについた。
停滞
サービスエリアの駐車場でまたヒッチハイクのお願いをして回っていたが、場所がよくなかったのか逆方向に向かう人だらけでなかなか見当たらない。かなり時間を使ったが見つけることができずそこから歩いて帰ることにした。正確な場所は覚えてないが京都まで100km圏内に来ていた。早稲田大学で100km歩くイベントがあると聞いていて同じ19,20の若者にできるなら自分にもできるだろうと思い、その時は本気で歩いて帰ろうと思っていた。歩く始めて数時間もするとそれがどんなに辛いことか分かり始めた。足が痛いのはまだいい。見たこともない道を一人でひたすら京都まで歩き続けることが心細く果てしないことに思えた。吉田寮にいるときは無頼の一員でいるような気がして気を大きく持てたが、本当に頼るもののない時は心細く不安でたまらなかった。僕は歩いて帰るのは無謀だと思い、ここから一番近いSAに行きそこでヒッチハイクできなければ野宿しようと考えた。
最後のヒッチハイク
空はオレンジ色になり、車の影が長く伸びていた。僕が最後どうやって話しかけたのかは正直覚えていない。ただ喫煙所でお願いしに行き京都までおくってもいいよと言われた後車に乗るまで感謝と開放感で号泣したことは覚えている。これでやっと家に帰れる。最後のヒッチハイクは姫路ナンバーの30代の夫婦だった。奥さんは熱心な創価学会員で選挙権が法改正で適用されるようになった19の僕に公明党への投票をお願いしてきた。僕は絶対にその年の選挙は公明党に入れようと思った。
エピローグ
僕は夜中に吉田寮に着くともうすでにヒッチレースの参加者の4割くらいは帰ってきていた。残りの人たちも続々と帰宅して各々のヒッチレース話をしていた。僕は一生に一度の大変な冒険をしたつもりでいたが、それはこの寮では誰もがしているありふれたものでしかないのだと思うと、少し悲しい思いがした。僕はその年の参議院選挙はさんざん悩んで白票を入れてしまった。
僕は吉田寮の変わったエピソードの話をして喜んでもらおうと思う時、よく上記のヒッチレースのエピソードをしていた。そのなかで最後の投票の話をいつも公明党に投票したとウソをついていた。その方が話の座りがいいと思っていたからそうしていたのだが、それは本当は嘘なのだ。話をするたびに良心が痛んでいたので、ここに書くことができて良かった。