恋人と分かれてからずいぶん経つ。あれから未だに自分は時間が止まったような感じがしている。いつまでも先月別れたばかりのような寂しさを感じている。
自分の人生はすごくどうでもいいものに思えるようになった。死ぬまでの時間が長すぎるから何か持て余してちょっと気晴らししているそんな感じがする。こんな気晴らしなんてもういらないから早めに終わりにしたいと思うこともある。
こういうのを今の時代は鬱と呼んだりすることもあるらしい。そして、鬱というのは結局脳の病気で運動したり薬を飲んだり日を浴びたりしてセロトニンなんかの化学物質を出してさえしまえばそんなことを考えなくなるらしい。
でもちょっと待って、俺が運動して薬を飲んで日を浴びて頭の中がセロトニンでいっぱいになって鬱なことをあんまり考えなくなったとして、だからなんなの?それがいわゆる脳科学的な幸せだとして、だから何なの?おとぎ話の死ぬまで幸せに暮らしましたとさって死ぬまで日光を浴び適切に服薬し日常的に運動しましたとさってことなの?
そういう話ってなんだかすごく虚しさを感じる。この間ドキュメンタリーで生活費の殆どを覚醒剤の購入に充てる男娼の話を見た。彼らとセロトニン出しましょうって言ってる人たちってなにか似ている気がする。
もう何もかも嫌だ、この世界もセロトニンで幸せになる脳みそも全て消えてなくなって最初から何も無かったことにしたい